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自分の音の原点 [再編集] [オーディオ]

まだオーディオより自宅で映画を観ることに興味を持っていた時代。
現在のようにインターネットで調べることなんて出来なかった時代。
情報は本と実際に足で収集するしかなかった。

その中で見つけた本がこれ。
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真空管アンプと喜多さんの音響道中膝栗毛
真空管アンプと喜多さんの続音響道中膝栗毛―外題すてれを卿行状記

なぜこの本をなぜ購入したか。
当時伊藤喜多男氏が真空管アンプの神様ということは全然知らなかった。
ようやくAV機器を揃えられこれからどう発展させていくかを模索していた中で映画館の全盛時代、音響装置のメンテの仕事をしていた話に興味があった。

内容的に真空管アンプはまだ使っていなかったのでこの本読んでも3分の1程度しか理解できなかった(^^;
今でもアンプ製作のノウハウの話はチンプンカンプンである(笑)

だがこの本を読み劇場用スピーカーに憧れ実際にALTEC A7を手に入れるきっかけとなった原点ともいえる。

「劇場と家庭の音」

劇場の音は...
聞く側は入場料を払い、その上入場税までも払って鑑賞するのである。
.....
とにかく金を払ったからには聞く方は必死であり、金を取ったからには聞かせる方も真剣である。
スクリーンに画が映る お ま け があるものでも私達には音のほうが大切である。


「劇場用スピーカーの厳しさ」

劇場用スピーカーは不特定多数の人の耳に届いて楽しませるパワーを必要とするためタフなものだと想われるだろうが大きな誤りである。
極度のセンシティビティーを要求され、秋の野にすだく虫の音から戦場に炸裂する砲煙弾雨の音まで再現しなくてはならないほどのダイナミック・レンジを要求される。
聞こえないからと客は耳を欹ててはくれないし、大半の人は敏感な耳を持たないにしろ直接膚に触れて持ち帰る人なのである。
「お宅の音は素敵ですなあ」などと御馳走になった手前褒めて帰る訪問者はそこには一人もいないのである。
大衆は音に対して愚鈍であると思ったら大間違い、却って耳のよい人がいるのは妙なステレオを聞かないからであろう。


久しぶりにちょこっと読んでみて当時は気にも留めていなかった文章が今読むと現在の自分なりに築き上げたつもりのオーディオに向き合う姿勢が、実はこの本にかなり影響されていることがわかる。

既に絶版で復刻されそうも無く、このまま死蔵されるには勿体無い自分の好きな文章があるので一部を紹介。

「以前の物を不完全の儘に放置して、新規のものと比較して云々するほど横着なことはない。
新しい方式のものが出ればその瞬間に従来からある方式を未熟なものと蔑み見向きもしないのが当世である。
そんな物に未練を残して居ては新しい技術に付いて行けないという単純明快な営利の目的の、よく云えば積極的な行動を余儀なくさせられるのである。
この世智辛い現代の目まぐるしい変化に対応して行くためには致し方のないことと重々察してはいるが、俺は俺なりの考えでと立ち止まって、熟視し観察して懐古趣味なんて粋がらず、本当の価値を再認識して見ては如何かと思う。
......
誰でもやれることを行うのは誰でも出来ること、誰でもやれないことを行うのが自分の生き様だと開き直るまでには時間と忍耐が要る。

誰でもやれることをもっと突っ込んでやることが、誰でもできないことである。
それが、生き甲斐だとわたしは思っている。」

劇場用スピーカー ALTEC A7を手に入れて20年以上が過ぎた。
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誰でもやれることをもっと突っ込んでやっている(笑)
未だ飽きることなく、このまま終のスピーカーとなる。


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